桔梗とひょうたん

歴史全般、特に明智光秀と豊臣秀吉に関する内容を扱います

2018-01-01から1年間の記事一覧

(11)光秀の妹・御ツマキ vol.9

御ツマキが登場する史料は以上ですが、もう1点、らしき人物が登場している史料として、「思文閣古書資料目録」という古書のカタログの第四揖第百二十九号に出ている十一月五日付(年は不明)佐久間信盛自筆書状があります。その内容は同書の解説によると、 …

(10) 光秀の妹・御ツマキ vol.8

[6]兼見卿記 天正8(1580)年1月18日 明日禁裏之爆竹申付在所、各罷出了、 惟任日向守へ為礼下向坂本、路次風寒以外也、午刻着津、面会、百疋持参、妻木五十疋・御祓、下向安土、預置奏者、 [5]の4ヶ月後のことです。兼見が光秀に面会のため坂本に下った際…

(9)光秀の妹・御ツマキ vol.7

[3]兼見卿記 天正7(1579)年4月18日 妻木惟向州妹参宮、神事之義以書状尋来、月水之義也、則答、神龍院ヘ向、晩炊、月斎・元右・侍従及夕聖護院邊遊覧 [2]から更に3ヶ月後の出来事です。御ツマキが参詣するにあたって神事に関することを書状で尋ねてきた、…

(8)光秀の妹・御ツマキ vol.6

「戒和上昔今禄」以外では、御ツマキは「兼見卿記」「言経卿記」に計5ヶ所登場します。 [1] 兼見卿記 天正6(1578)年6月14日 祇園繪依右府御見物早天云々、祭礼者如常、於西天王御旅所参神供参勤、妻木所ヘ臺之物、肴色々・双瓶以使者持遣、猪子兵助ヘ遣角…

(7)光秀の妹・御ツマキ vol.5

「戒和上昔今禄」での御ツマキの登場シーンはわずかですが、この女性の役割がある程度わかります。 ・信長の意向を取り次ぐ立場にあったこと。 ・ただの伝言役ではなく、場合によっては相手に有益なアドバイスを行うなど、気の利いた性格だったこと。 ・京都…

(6)光秀の妹・御ツマキ vol.4

「戒和上昔今禄」にはこの後、御ツマキの関与を窺わせる記述がもう1ヶ所あります。 ********** 三日ニ坂本へユクコシラヘ仕了│、若坂本ニテ相違アラハ、直ニ安土ヘユクヘシトテ、モンシヤヘ一マキ、シロトシスヘ一マキ、右府ヘノ進物ニ用意メウス、トモノ台…

(5)光秀の妹・御ツマキ vol.3

「戒和上昔今禄」には御ツマキは2ヶ所に登場します。以下、早島氏論文から該当箇所を引用します。 最初は「御乳人」が相論解決を織田政権に働きかけた後のもので、天正5(1577)年11月23日のことです。御ツマキ・光秀以外に、筒井順慶や光秀家臣の藤田伝五が…

(4)光秀の妹・御ツマキ vol.2

御ツマキが史料に初めて登場するのは天正5(1577)年11月、「戒和上昔今禄」という史料においてで、興福寺と東大寺との間の相論に織田方の交渉窓口として登場します。これについては早島大祐氏の「『戒和上昔今禄』と織田政権の寺社訴訟制度」という論文が…

(3)光秀の妹・御ツマキ vol.1

最初のお題を何にするか、いろいろ考えたのですが、まずは16年前の宿題から始めることにしました。以下は2002年7月にYahoo!掲示板に書いたものです。 <引用開始> 「多聞院日記」の1581年8月の項に、明智光秀の妹「御ツマキ」が死去した、という記述があり…

(2)祝!大河ドラマ決定

ブログを今日始めることは前から考えていたのですが、たまたま一昨日(4月19日)明智光秀が2020年のNHKの大河ドラマの主人公になることが発表されました。 何年か前にも「光秀が有力」とのニュースが流れ、ふたを開けたら「黒田官兵衛」だったということがあ…

(1)ブログ始めます

かねてから考えていたブログを開設することとしました。どれだけ続くかわかりませんが、よろしくお願いします。 もともと歴史全般、特に明智光秀と豊臣秀吉に興味を持ち、いろいろ調べたことを発表してみたいと思っていました。元々20年近く前、まだブログや…