桔梗とひょうたん

歴史全般、特に明智光秀と豊臣秀吉に関する内容を扱います

(3)光秀の妹・御ツマキ vol.1

 最初のお題を何にするか、いろいろ考えたのですが、まずは16年前の宿題から始めることにしました。以下は2002年7月にYahoo!掲示板に書いたものです。

<引用開始>

 「多聞院日記」の1581年8月の項に、明智光秀の妹「御ツマキ」が死去した、という記述があります。ツマキは名前というよりは、光秀の妻の実家が妻木姓であることから、姓と解釈すべきでしょう。 (中略)
  よくわからないのはこの後に、信長が「一段ノキヨシ」であり、光秀はとても落胆した、という記述があることです。光秀の落胆はわかりますが、信長云々は一体何でしょうね?
本能寺の1年前の出来事だけに気になるのですよ。

<引用終わり>

 ちょうどこの後、2003年3月に刊行された「愛知県史 資料編11 織豊1」に付属で入っている「愛知県史のしおり」において勝俣鎮夫氏がこの多聞院日記の記述に触れ、「細川家記に書かれた『光秀に縁のある信長の室家』とはこの女性のことではないか?」と問題提起されたことから(従来は斎藤道三の娘・濃姫のことだと考えられてきた)、ポツポツいろんな歴史関係の著述で目にするようになりました。この女性についての新発見もいくつかあり、次回以降はそれらについてまとめてみたいと思います。