桔梗とひょうたん

歴史全般、特に明智光秀と豊臣秀吉に関する内容を扱います

(10) 光秀の妹・御ツマキ vol.8

[6]兼見卿記 天正8(1580)年1月18日

明日禁裏之爆竹申付在所、各罷出了、

惟任日向守へ為礼下向坂本、路次風寒以外也、午刻着津、面会、百疋持参、妻木五十疋・御祓、下向安土、預置奏者、

[5]の4ヶ月後のことです。兼見が光秀に面会のため坂本に下った際に、妻木にも面会し御祓を実施したとあります。進物が光秀の半分というのは、ちょうど1年前の[2]の時と同じです。

 

[7]兼見卿記 天正9(1581)年5月16日

在所・家中祈念、天度祓百座神人各誦之、近衛殿・細川右京兆遣御祓、妻木依所勞在京、祓、請神龍院之間罷向、侍従・青女同前

少し間が空いて[6]より1年4ヶ月後のことです。御ツマキの死去はこの3ヶ月後のことなので、御祓いが必要な程の「所勞」が気になります。