(4)光秀の妹・御ツマキ vol.2
御ツマキが史料に初めて登場するのは天正5(1577)年11月、「戒和上昔今禄」という史料においてで、興福寺と東大寺との間の相論に織田方の交渉窓口として登場します。これについては早島大祐氏の「『戒和上昔今禄』と織田政権の寺社訴訟制度」という論文があり、ありがたいことにインターネット上でも読むことができます。
事件を要約すると、以下のようになります。
・天正4(1576)年6月28日に興福寺・一乗院に入室した尊勢(近衛前久の長男)に対し戒を授ける役目である「戒和上職」を巡って、文安3(1446)年以降その役目を担っている興福寺と、それ以前に担当していた東大寺との間で相論があった。
・近衛家から尊勢の付き人として一乗院に派遣されていた女性「御乳人」が中心となり、本相論を解決してもらうべく、天正5(1575)年11月より織田政権に働きかけた。
・御乳人の交渉窓口となったのがやはり女性である「惟任妹御ツマ木」であり、連携して相論の解決にあたったのは御ツマ木の兄である明智光秀である。
・途中、行き違い等あったものの、最終的に1ヶ月後に興福寺勝訴に終わっている。
「御ツマ木」の具体的な行動については、次回以降に書きます。