(6)光秀の妹・御ツマキ vol.4
「戒和上昔今禄」にはこの後、御ツマキの関与を窺わせる記述がもう1ヶ所あります。
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三日ニ坂本へユクコシラヘ仕了│、若坂本ニテ相違アラハ、直ニ安土ヘユクヘシトテ、モンシヤヘ一マキ、シロトシスヘ一マキ、右府ヘノ進物ニ用意メウス、トモノ台ヒモノニアツラエル処ニ、小比丘尼トカウセウイントノヽ御局ト御袋様ヘメシテ、日中飯被下間、ソレ過テ可有御越トノ事也、サアレハ小比丘尼参申ヤウハ、上様ハ三河へ御鷹山ト申間、進物不可入由ナレハ、二マキハ返了、
<訳>坂本で色よい返事が聞かれなかったら、安土の信長のもとへいくべしとの訴訟方針が再確認されている。このように緊迫した打ち合わせのさなか、光秀の動向に関するさらに新しい情報がはいった。光秀は日中、母と会食予定があり、その後ならば面会するというのである。(中略)この情報をもたらしたのは、あの小比丘尼であり、さらに彼女が伝えるところによれば、信長は三河へ鷹狩りに行ったというので、信長への進物は不要となった。
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前項で小比丘尼が御ツマキの意向を伝える役目を果たしていたことからして、今回の情報源も御ツマキではないかと早島氏は述べています。
「戒和上昔今禄」には御ツマキ以外にも、光秀の先祖と足利尊氏との関係や光秀と医学との関わりなど興味深い内容が含まれていますが、それらについては後で改めて触れたいと思います。